バングラデシュの概要
正式名称 |
バングラデシュ人民共和国 |
首都 | ダッカ(Dhaka) |
人口 | 1億5049万人(2011年、世界銀行統計) |
公用語 | ベンガル語(行政機関、大企業などでは英語も通じる) |
第一外国語 | 英語 |
宗教 | イスラム教(90%)、ヒンズー教(9%)、その他(1%) |
通貨 | 100円=87.8タカ(2013年1月時点) |
略史 | 1971年12月16日 バングラデシュとして独立 |
政治 | 議会は一院制(総議席345、任期5年) 小選挙区制選挙によって選出。 行政府の長である首相が、議会選挙後に勝利した政党の党首を大統領に任命。内閣の閣僚は、首相の指名に従い大統領が任命する。 閣僚の90パーセント以上は国会議員から任命されなければならない。 |
その他 | 2011年でバングラデシュが独立して40周年を迎えました。 バングラデシュは親日派の方が大変多く、日本への関心がとても高い国です。 先般の東日本大震災に関し、バングラデシュ国首脳陣・政府高官、日本と関係のある方々のみならず一般の方々など幅広い方々から日本国民、特に被災者への心よりのお見舞いと犠牲者とご遺族へのお悔やみのメッセージや義援金が寄せられました。また、バングラデシュ各地で日本を応援するイベントが開催されました。あるバングラデシュ国立大学の日本語コース等を含む言語センターでは、同大学幹部と共同で映画祭の開催、日本を励ますために作成したオリジナルTシャツを販売し収益金は義援金として送られました。その他にも多くの小学生によって書かれた励ましの作文や、日本よりも貧しい環境で暮らす方々からも多くの義援金が送られました。(出典:JICAバングラデシュ事務所) |
バングラデシュの歴史
16世紀 | ムガル帝国(イスラム王朝)の元で、商工業の中心地へと発展。 |
17世紀末 | ヨーロッパの貿易商人が訪れるようになる。 |
18世紀末 | イギリスの東インド会社によってベンガル地域の大部分はイギリスが占め、その他フランスとポルトガルの3つの国によってイスラム教徒とヒンドゥー教の分割統治が開始。 |
20世紀 | ヒンドゥー教徒が団結しガンジーらに指導されて反英闘争が始ると、イギリスは、イスラム教徒を優遇し始めた。その後、ベンガル州を東西に分割。イギリスが植民地から撤退した後も、ヒンズー教徒とイスラム教徒の激しい衝突が続く。イスラム教徒が多数を占めた地区はパキスタンとして分離独立し、ヒンドゥー教を占めた地区をインド。 |
1947年 | パキスタン独立で東パキスタン州となる。しかし、パキスタンは地理的にインドを挟んだ東パキスタン州と西パキスタン州にはなれその距離は1600km。同地ともにイスラム教徒が多く住んでいたが、民族や言語や歴史などの違いと、西パキスタン州に偏った中央政府の開発が理由で西パキスタン州と東パキスタン州の経済格差が広がった。更には、西パキスタン州で使われていたウルドゥ語を国語と定めたことに東パキスタン州は強く反発の意を持ち内戦が始まるが、人口が多い東パキスタンを基盤とするアワミ連盟が勝利に終わる。 |
1974年12月 | パキスタンは内戦後、二週間足らずで無条件降伏しバングラデシュの独立を認めた。 |