バングラデシュの概要
正式名称 |
バングラデシュ人民共和国 |
首都 | ダッカ(Dhaka) |
人口 | 1億7,119万人(2022年、世界銀行) |
公用語 | ベンガル語(国語)、成人(15歳以上)識字率:77.7%(2022年、バングラデシュ統計局) |
宗教 | イスラム教徒91%、その他(ヒンズー教徒、仏教徒、キリスト教徒)9%(2022年、バングラデシュ統計局) |
通貨 | 100円=78.2タカ(2024年7月時点) |
略史 | 1971年12月16日 バングラデシュとして独立 |
政治 |
議会は一院制。定数350議席。 全国300の小選挙区から各1名が選出され、任期は5年。残り50議席は女性留保議席であり、総選挙の結果後に各党の議席数に応じ各党に比例配分される。 |
その他 |
苦しい独立戦争を経て1971年に独立した当時のバングラデシュの一人当たりの国民所得は100ドル強にすぎず、世界の中で最も貧しい国の一つでした。その後の目覚ましい発展により、2011年以降、(コロナ禍であった2020年を除き)毎年の経済成長率はずっと6%を超えており、2021年には一人当たりの国民所得が2,620ドルに達しました。2026年には最貧国(LDC:Least-Developed Countries)から卒業予定です。貧困率は2000年の48.9%から2019年には20.5%とこの20年間で半減以下になり、社会開発の指標(初等教育の就学率、ジェンダー平等、乳幼児死亡率など)も大きく改善しました。独立戦争と貧困で荒廃した国にとって、独立後の50年間はとてつもなく長く大変な道のりだったと思いますが、バングラデシュの着実な発展の歩みは、世界的に見ても大きな成功と言えるものです。 (出典:JICAバングラデシュ事務所) |
バングラデシュの歴史
16世紀 | ムガル帝国(イスラム王朝)の元で、商工業の中心地へと発展。 |
17世紀末 | ヨーロッパの貿易商人が訪れるようになる。 |
18世紀末 | イギリスの東インド会社によってベンガル地域の大部分はイギリスが占め、その他フランスとポルトガルの3つの国によってイスラム教徒とヒンドゥー教の分割統治が開始。 |
20世紀 | ヒンドゥー教徒が団結しガンジーらに指導されて反英闘争が始ると、イギリスは、イスラム教徒を優遇し始めた。その後、ベンガル州を東西に分割。イギリスが植民地から撤退した後も、ヒンズー教徒とイスラム教徒の激しい衝突が続く。イスラム教徒が多数を占めた地区はパキスタンとして分離独立し、ヒンドゥー教を占めた地区をインド。 |
1947年 | パキスタン独立で東パキスタン州となる。しかし、パキスタンは地理的にインドを挟んだ東パキスタン州と西パキスタン州にはなれその距離は1600km。同地ともにイスラム教徒が多く住んでいたが、民族や言語や歴史などの違いと、西パキスタン州に偏った中央政府の開発が理由で西パキスタン州と東パキスタン州の経済格差が広がった。更には、西パキスタン州で使われていたウルドゥ語を国語と定めたことに東パキスタン州は強く反発の意を持ち内戦が始まるが、人口が多い東パキスタンを基盤とするアワミ連盟が勝利に終わる。 |
1974年12月 | パキスタンは内戦後、二週間足らずで無条件降伏しバングラデシュの独立を認めた。 |