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- 【対談】医師×医師兼弁護士×弁護士
- #05 問われる信用性。医療訴訟におけるカルテの“落とし穴”とは
問われる信用性。
医療訴訟におけるカルテの“落とし穴”とは
現役の医師と弁護士によるスペシャル対談の第5話。今回は、医療現場で必須の「カルテ」を軸に話が展開しました。
患者さんに訴えられたあと、慌てた医師がカルテに情報を追記した場合、証拠としての信用性はどうなるのか。被害患者側の代理人業務を担当する弁護士として、どのようにカルテを捉えるのか。
双方の立場から考える「カルテ」の重要性について、掘り下げていきます。今回もぜひ最後までご覧ください。
医師に聞く。
カルテは何を意識して書いているのか

今回は、医療の場で欠かせないカルテについて、話を伺っていきたいと思います。
医師の皆さんは、どういう感覚でカルテを書いていますか?

そうですね、患者さんとのトラブルになった際にカルテが証拠になることは理解しているので、患者さんの訴えやこちらからの説明、同意いただいた内容などはできる限り詳細に書いておかなければいけないとは思っています。
ですが、診察の場では順番を待っている患者さんがいたらそれ以上お待たせしないことを第一に考え、診察を優先しますので、その時にすべてカルテ記載を終わらせるのはなかなか難しいです。

全部を書ける時間はありますか?

時間がとれないことが多いです。たとえば、状況にもよりますが5分診療の間に、呼び入れ、診察、処方、次回予約を終わらせないといけません。
患者さんのご様子によっては予定外の検査オーダーや、追加の詳細な診察をすることもあります。そうすると待ち時間が延びていきます。
さらに、患者さんと向き合って表情や顔色などを確認しながら診察をすることに重きをおくと、コンピューターに向き合ってカルテを打ち込む時間の確保は、なかなか後回しになってしまうというのが現状です。

私も大塚医師と同じような感じですが、術前のICのときは、わざわざ研修医を書記につけて一言一句全部書かせていました。
それだけでは、病院に提出したときに足りないことがあるから、必ずその話をしたとき、患者さんが理解しているのかどうかもきちんと書けと言われるようになって厳しくなりました。最後に「以上の説明をして、患者さんが納得・理解された」というところまで書いて、しかもその用紙をご本人に渡す前に、ご本人から「ちゃんと説明を聞いて納得しました」というサインをしてもらってから渡していました。

なるほど、術前のICのときは綿密にやられているんですね。手術をしない、通常の診察の場合はどうですか?

その場合は、自分ひとりで診療してその内容を書かなければならないので、それこそ大塚先生が言われたとおり、5分診療だったらカルテを十分に書くことはできないですね。
「ここぞ」というときは、医師なり、どなたかを立ち合わせて書くべきなのだな、とつくづく思ってはいます。

詳しく教えてくださり、ありがとうございます。医師の皆さんは、誰にカルテの書き方を教わりましたか?

大学時代の教授や先輩の先生方からの指導がベースになっています。あとは、リスク管理について書かれた書籍などを読んで「こういう記録を残しておかないと危ないんだな」と学び、それらを組み合わせて今の書き方に落ち着きました。

僕は『ワシントンマニュアル(メディカルサイエンスインターナショナル出版)』という本を読んだぐらいです。上から教わったわけではないですね

上級医は忙しくカルテの指導をする時間がなかったので、私も本で学んだことをそのまま書いて、何となく自己流にアレンジしていった感じです。

医師の先生方は、カルテの書き方を画一的に教わるわけではないんですね。
カルテは誰のためのもの?
医師が読み手と考える対象者

次の質問です。医師の先生方は、カルテは誰が読むものと考えながら書いてますか?

まず自分と、それに関連した医療者は必ず読むもの。あと、患者さんと訴訟になったときは開示されるから、そのときに関係してくる人のことも意識していますね。

「関係してくる人」をもっと具体的に言うと?

患者さんご本人とか、ご家族の方とか、あとは弁護士かな。

弁護士がわかるようなカルテの書き方をしているんですか?

「できるだけ専門用語を使わないようにしたほうがいい」と言われたことがあるので、時間があるときは、できるだけ略語は使わないようにしていますね。
たとえば「上部消化管内視鏡検査」って胃カメラのことなんですけど、忙しいときは「GF」や「GS」って略します。

廣吉医師のような先生ばかりだったら楽なのですが……。略語などに気をつけて書いてくれる先生は少ないですね。市川医師はどうですか?

自分が見るのが80%で、自分が申し送りしたあとの医師が見るのが10%。医師の後輩が見るのが10%くらいかな。だから、カルテに考察まで書く確率は5%くらいで、開示に耐えられるのも5%くらいだと思う。

私は、医学的におかしな点がなく、後任の医師に引き継ぐときなどもスムーズになるように…という前提と、カルテ開示の可能性を考えて、患者さんやご家族が見ても差し支えがないように…ということを考えて書くようにはしています。

大塚医師は精神科医療をやられているんですよね。

はい、そうです。精神科は他の科とやや仕組みが違うところがありますが、夜間に救急で運ばれてきたり、医療保護入院や措置入院になったりと、緊急の対応が発生することがあります。その後の対応を他の先生に引き継ぐこともあったりするので、要点を整理して書くよう気をつけています。

医師の先生方は、「自分以外の人もカルテを見る」ということを意識されているわけですね。
では、弁護士の先生方。
「こうすべきだよ」というアドバイス抜きにして、聞いた感想をお願いします。

人や病院、診療科によってどういう目的で書いてるか、どこに力点を置いて書いてるかがバラバラなんだなという感想を持ちました。

「ちゃんとやられてるな」と思いましたね。何も書いてないに等しいみたいなカルテを見る機会が多かったので、余計に感心しました。

「画一的にカルテの書き方を習ってないんだ」というのが気になりましたね。これまで事件の関係でカルテを見ると、大体書き方っていうのは、整理されてるというか、統一されてる気がしたので。
手取り足取りは教わっていないながらも、何かしらのルールがあるのではと思っていたのですが、どうなのでしょう。

電子カルテはテンプレートがありますね。

なるほど、電子カルテですね。あとは先ほど「きちんと書いてる時間がない」とおっしゃっていましたが、どういう時間帯にカルテを書いてるのかが気になります。
患者さんと向かい合って、診療しながら書いてる医師の先生方もいらっしゃると思うのですが、それ以外の時間帯では、いつ書きますか?

普通の外来診療の場合は、その場で書くしかないですよね。

診察中にその場で書くこともありますが、後から内容を整理して追記することもあります。診察中は要点だけメモしておいて、後から詳しく書き足すような形ですね。

患者さんが入れ替わる時間にサマリーとして書きまとめることも、少なくないですよね。

市川医師は「考察」とも言っていましたよね。

最後の考察を入れるときもあるんですよね。難しい症例は簡単に。でも2~3分の短い時間で全部仕上げちゃうから、僕はその間で診察しながら書いています。

たとえば、帰宅する前に「あのとき、ああいうふうに話したけども、あれ書き忘れたから書いとこう」みたいなこともやられるんですか?

やりますよ。電子カルテによって、「保存」「準備」「完了」のように仕様が違うんですよね。でも別に修正しても同じなので、OKです。紙カルテの場合も、あとで書けるようにあえてスペースを空けておいて、その日が終わったあとに追記する形で書くことができます。

患者さんは常にたくさん待っていらっしゃいますし、待たせられないのですよね。診療が終わったあとに追記や修正をしないと、間に合いませんから。

なるほど、せわしない時間の中で、どうにかカルテを書くための時間を捻出しているんですね。
弁護士の視点から見る、理想的なカルテとは

「医師の先生方の多くは、あまりカルテを書く時間がない」ということを前提に、弁護士の先生方は、カルテの書き方について「こう書いたほうがいいですよ」とアドバイスするとしたら、それぞれ何がありますか?

僕は医療に限らず、お客さんと契約書を作るときも含めて、誰に見てもらうか、というところはやっぱり裁判官を基準にすべきだと言っています。
よく法律家は「一義的な文章を書け」と言われるんですよ。つまり、「誰がどう読んでも同じ意味にしか取れない文章を書きなさい」と教わるんです。
それが誰にとっての一義的かってなると、裁判官。どんな裁判官が見ても同じ意味にしか取れない文書とか証拠とか、そういうものを作っておきなさいと言われるんですね。
なので、僕は普段自分が生活していても、誰かに送るLINEのメッセージにしても、裁判官が見たらどう思うだろうか、という視点でいつも書いてます。

おっしゃるとおりで、さすがだなと思ったのは、私もまったく同じことを言うんです。本にも書いたのですが、裁判官が見て、自分がやったことが的確に記録されていれば、他の人はわかるはずなんですよ。
医師にとって意識しなきゃいけないのは、自分は当然カルテに書いた意味がわかるじゃないですか。引き継ぎの医師や看護師は、別に聞いてくればいい話ですよね。患者さんと患者さんのご家族だって、読んでどうせわかるわけないんだから、質問してきますよね。
でも、唯一聞いてくれない人は、ひとりしかいない。それは、裁判官です。「先生、これはどういう意味なんですか?」って、裁判官だけは聞いてくれません。
ということは、裁判官が読んで理解できるレベルの文章だけ書けばよくて、裁判官に伝えたいことがなければ、大して書かなくてもいいんです。
たとえば、私は眼科だったんですけど、「網膜剝離の可能性があるので、もし飛蚊症がひどくなるようであればすぐさま来院してくださいと説明し、了承いただいた」って書いておけばいい。
要するに、私が見たときには網膜剝離はありませんでした。でも、このあとすぐに網膜剝離が起こるかもしれないから来てください。それはしっかり書きます。それ以外なんてミミズがのたくったような字を書きます。だって忙しいじゃないですか。

医師にとって本当に一番大事なのは浅野先生の言ったとおりで、裁判官が見たらどうなるのか、ですよね。医師の先生方は、裁判官が見て理解可能なカルテの書き方をまず習得することが大事です。

あともう一個あるとすれば、個別指導で行政官が見たときに「これ記載がないから点数削減しますよ」というポイントだけですよね。でも、それは別にあとで事務員が書けばいいと思います。医師はサインだけ押せばいい。
医師が自分で自分の身を守るために書かなきゃいけないのは、もう唯一、裁判官だけ。常に裁判官が見てるんだと思ってカルテを書く。逆に言うとそれ以外いらないです。
カルテの「コピペ」は危険?
信用性を損なう落とし穴とは

裁判官を意識する以外にもうひとつ、大事なことがあります。医師の先生方は、カルテを書くとき、「コピペ(=文章やデータの転写)はアウト」と思ってください。

コピペはアウト……って、医療の場において、シチュエーションは大体同じじゃないですか。

ちょっと余談ですけど、医師が一番陥るミスはここからここまで書かなきゃいけないって習ったけど、全部書くのは時間効率が悪いからコピペ。これ、最悪です。コピペしてるってことは、裁判官から見ると信用性がないってことなんです。

電子カルテのシステム上に、よくある症状や状況に合わせたテンプレートがすでに用意されているんです。

それをコピーした瞬間に、裁判官としては典型文書とか登録文書という形で、「これは本人の意思に基づいて書いたものではない」と判断する確率は高いです。だから絶対にコピペは使わない。コピペはアウトと思っています。

たしかに、コピペの信用性はないですね。

あえて言うならば、ハンコあるじゃないですか。ゴム印で中に書いていくでしょ。あれはいいんですよ。ゴム印で説明までテンプレートで押さえれば。それは、医師の意思に基づいたんじゃなくて、ただハンコが押されていたというような認定しかされない。
これは意外と知られていないんですけど、本当に驚くほどコピペが多いんですよ。個別指導でも全部リジェクトですよ。裁判官はもちろんのこと、個別指導でも「信用性のない記載」としか扱われません。コピペするくらいなら書かないほうが良いと思うこともあります。

電子カルテの仕組み、変えたほうがよくないですか?

そこは、声なき声がちゃんと表されてないんです。裁判対策じゃなくて、業務効率しか考えてないから。
訴えられてどうにかなる人なんてほとんどいないわけだから、電子カルテのメーカーとしては大多数が売れて、ごく一部の人がどうにかなっても、それはよくわからないんですよ。
フィードバックするシステムがないんです。
でも、コピペして医師の得になることは何もありません。下手すれば、一歩間違えれば、刑事事件にもなりかねません。コピペでの記載は「ないものと同じ」だと考えてください。コピペするんだったら、「異常なし」でもいいし、「前回と同じ」でもいいから、WNL※でも自分で打ったほうがいいですよ。その場で医師が判断したことなんだから。
WNL(Within Normal Limits):医療用語のひとつで、検査結果が正常範囲内であることを意味する。

なるほど、なるほど。

コピペよりも、そのほうがいいんですよ。これを意外と知られていませんが、裁判官の目線って信用性がある記載かどうか、という目線なんです。

それはそうですね。同じ文章が何度も繰り返し出てくると、「その都度きちんと診察した内容が反映されているのか」と疑問を持たれてしまいますよね。結果として、カルテの信用性が下がってしまうので、医師にとってもマイナスだと思います。

コピペだけで、ずっと同じものを貼り付けるのではなく、個別にプラスして、その時々の具体的なものを変えたらまたいいでしょうけどね。

コピペを多用する人は、そういうことはしないですね。キーボードを打ってないものはダメ。マウスなんて、置いておかなければいいんですよ。
カルテの追記は信用性に関わる?
書き足しが招くリスク

その場で書ききれなくて、業務の後にまとめてカルテの入力を行う場合、法的な証拠として問題はないのでしょうか。

それは大丈夫です。

仮に紛争となったとして、そこから、さらにカルテを書き込むことの是非は医師として気になるところですよね。

患者さんに訴えられたりして紛争になったときに、医師の皆さんは「カルテに追記したい」という衝動に駆られると思いますか?

そう思ってしまう医師もいるかもしれません。ただ、勝手にカルテを書き換えるのはリスクがあるとわかっているので、「こういう状況でこれを追記したいのですが、どうすればいいですか」と、まずは病院内の専門部署や詳しい方に相談すると思います。

勝手に変えるのは怖いので、私も誰かに相談すると思いますね。

私は絶対書かないけど、何を恐れてるんですか?

というのも、診療でお話ししたことや説明したことを、すべてカルテに書けているわけではないからです。

全部を書けていないからこそ、不安になりますよね。

おもしろいですね。それは医師の感覚です。
弁護士的な目線だと、追記したことで信用性が低下しちゃうんですよ。

追記したっていうことを書いとけばいいのですよね?何月何日に追加したっていうことを書けば。

それでもいいんですけど、追記しなきゃいけないようなカルテの書き方を普段からしてるってことだから。普段から何かしらで漏れてることがいっぱいある人のカルテの記載だ、って自分のカルテに対する記載の信用性を低下させてるに等しいんです。

なるほど。

裁判官の目線というのは、裁判官が読んで理解できるって意味じゃないですよ。裁判官は証拠の信用性から入るんです。信用性のあるカルテの記載っていうのは、どういうものなのかという目線を見なきゃいけない。

追記の話で言うと、忙しくてその患者さんと対面してるときは書ききれないけれども、毎日夕方に追記するというルーティンがあるのであれば、証拠価値を否定されにくいです。何か患者さんから突っ込まれたあとに追記されたとかそういうことじゃなく、何もないけどルーティンで追記してる場合です。

そうです。毎日決まった流れで追記してるのなら問題ない。よくあるのは、個別指導で30通指摘されて30通持っていくじゃないですか。これに書きまくっている先生がいるんです。
私は依頼を受けたらまず、「何もしないでください」から入ります。何が怖いかというと、個別指導は指定された通数しか見ないことです。30通が多いですね。
でも「何か怪しいな」とか、向こうは尻尾をつかんでるときは、30通のあとに監査っていう形で他のカルテをランダムにいきなり見に来ます。この30通はたくさん書いてあるけど、この30通以外は全然スカスカのカルテだったら、これは明らかに偽造したってことになるじゃないですか。

「30通分は頑張ったね」、とは……。

なりません(笑)医師の中では、これを書いておかないとまずいなと思って書き足すほうが自分にとって自分を守ることになるんじゃないかと思うでしょう?大間違い。極端な話、何にもないスカスカのカルテでもスカスカのまま行ったほうが個別指導はよかったりするんです。
「正確さ」と「信用性」は違う。
医師と弁護士の認識ギャップ

繰り返しになりますが、カルテがもともとスカスカの人は、スカスカのまま行くべきです。裁判官からすると信用できるかどうかのほうが大事なのに、医師にはこの「信用性」っていうポイントがありません。
書いてあることは、信用性があるものを前提にカルテを書いていますよね。極端な話、ウソを書いたとしても、裁判官には、ウソかどうかなんてわかりません。

だからって、ウソを書くのは罪な感じがあります。多分、現場の医師は正義感が強い。言ったことはちゃんと正確に書こうとする。

密室の出来事は、誰にもわからないじゃないですか。

やはり実際に言っていないことを「言った」と書くことは、医師としてどうしても抵抗がありますね。

そこからトラブルになっていないから大丈夫。でも逆に、それでいいんですよ。だってわかんない。そんな裁判官を見たときに、信用性の吟味だから。

そういう概念がないです。

でも、患者さんにはわかりやすい言葉で説明したけど、カルテに記載するときは専門用語とかもうちょっと詳しく書いたり、「こういう説明をした」という趣旨で書いたりすることはありますよね。「……という趣旨の説明をして理解していただいた」「こういう旨で……」のようにね。
でも、裁判官はそれでいいんですよ。裁判官が見たときどう判断するか、「このとおりに説明したんですか?」とは裁判官は聞いてこない。

一義的と、ちょっと何か矛盾するような話に感じます。ふわっと置きにいってる。

一義的ですね。「旨」って書いてぼやかせる。裁判官もそういう判決文を書くんだから。言いたかったことはそういうことではなく、廣吉医師が言ったみたいに、一言一句書くのはまったく無意味だってことなんですよ。

ああ、なるほどですね。

業務効率が悪くなってるから。医師がどうして長時間労働になるか、ってそういうことをしてるからなんですよ。

そうですよね。たしかに。

時間の無駄です。医師の業務効率を良くするためには、まずカルテの記載の持つ意味をきちんと理解する。このために、弁護士って実はものすごい活躍できるはずなんですよ。

医学部の授業に入れたらいいんですよ。

無理、無理無理(笑)

そういった法的な視点は、国家試験の必須項目に入れて、学生のうちから学べるようにしたほうがいいですね。

いや、結局、弁護士って依頼者の味方ですよね。全面的に。だから自分の依頼者に対して有利な形のように指導できるけど、一般論として言うと、もっと平たくなっちゃうんですよ。だから、私弁護士になろうと思ったきっかけはそこですからね。

でも、いろんな授業で視点は提供できますよね。

うん。視点はね。

私の記憶している限りですが、医学部では、医療裁判の観点からカルテの書き方を学ぶ機会はほぼなかったように思います。

医学部は、中に弁護士が入ることをものすごく嫌いますからね。医療の中身を見せたくない、というような。
カルテの記載の持つ意味って言っても、浅野先生からの視点が本当にそのとおりで、裁判官が見たらどうなのか。その裁判官の目線っていうのは裁判官が読めるって意味じゃないです。理解できるっていう意味じゃない。信用性なんです。

そのカルテ、多分裁判官にとってはいいのかもしれませんが、医療としてはあまり内容がなくて、役に立たないかもしれない。

そんなのは録音しとけばいいじゃないですか。

他のスタッフが見たりとか、いないときにその患者さんを把握したりするのは。

それは最低限のことを書けばいいと思います。それも書いとけばいいと思いますけど、それは医療の仕組みの中でどうにかなるじゃないですか。Face to Faceで会える人たちなんだから。裁判官っていうのは、どこの誰になるかもわかんない第三者の人だから。

でもFace to Faceで大体会えない。カルテしか残ってなくて5年後とかにいきなり来て、今までの既往とか前回どう受診したかとかを、そのカルテの中でしか読み取らなきゃいけない。読み取るしかないっていうか。

5年経ったらまた、検査結果も変わってきますよね。

でも何か既往の話とか、この前こういう目でひどい目に遭ったとか、カルテを通して見たいというか。

それはね、まだね、純医師の感覚ですね。別に医療訴訟にならなかったらそれでいいんですよ。でも業務効率を考えたりすると、多分私はそれ、非効率的だと思います。

だから自分も怪しいというか、重大な結果を招きかねない5%だけは細かく書くんですよね。薬の選択によって争点になりそうなものだけは、考察も書くし鑑別も書いたりするけどそれ以外の風邪とか大したことないような、問題にならなさそうな方はシャシャって書いちゃう。
「病気の見落とし」と判断されないためにできること

やっぱり、しっかり書いておかなきゃまずいのは画像ですよ。

画像は、一言は何か書きますよね。

よくね、弁護士だったら当然知ってますけど、よくあるのがおじいちゃんとかの例。肺のレントゲン撮ったつもりだけど、おじいちゃんの体勢が悪くて肝臓まで写ってて。肺は異常ないけれども肝臓にがんがあったとか。写ってるけども、写りこみみたいな。

そういうリスクがあるなら、もう撮らないほうがいいですね。

撮らなきゃダメだけど(笑)医師がやっぱりカルテに本当に書かなきゃいけないのは、画像の場合は撮った部分をちゃんと書く。だから肺を撮ったつもりだけども肝臓が映っていたら、肝臓に対しての所見も一応書いておく。異常なしでいいので。自分が異常なしと思ったんだから。

それは実際、何かあって、異常なしって書いてもいいのですか?

それはただの誤診。

ただの見落としかもしれないけど、でも自分が一応診ようとしたら、本当に何もわかんなかったら、聞かなきゃ。誰かに。読影医とかね。肝臓も映り込んだという感覚を医師は持つべきだって。
本当に大事なのはそっちで、でもそれってやっぱり裁判例を前提として、弁護士とコミュニケーションをとってるからわかるわけじゃないですか。
だから本当に純粋に肺だけ写っていればいいんですよ。

実際の現場では、目的の場所だけを完璧に切り取って撮影するなんて、ほぼ不可能ですからね。

おじいちゃんとかもレントゲンとかポータブルで撮ったりすると、いらんとこまで映るじゃないですか。別にその辺で骨折していてもそんなのはどうでもいい。
だけど写っていれば見落としになりかねないっていうのは、弁護士と話してみないと絶対にわからない。こういうのがいっぱいあるんですよ、実は。

カルテは、医療現場で絶対に欠かせないものです。だからこそ、書く側である医師がしっかりとポイントを学ぶことが重要なのだなと痛感しました。