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東アジアを中心とした積極的平和貢献活動への支援

ベリーベスト法律事務所は、戦争のない世界を目指す「アジア平和貢献活動」の普及・推進活動に取り組んでいる、当事務所の西原春夫顧問の活動を全面的に支援しています。

積極的平和貢献活動の社会的意義

ベリーベスト法律事務所が支援する「積極的平和貢献」とは、武力によらず、国際法秩序を構築することにより、軍事衝突を回避しようとする取り組みを指します。西原春夫顧問が著書『日本の進路アジアの将来―未来からのシナリオ』(2006年、講談社)より提唱し続けている概念です。

第2次世界大戦が終結した1945年以来、この地球上において、紛争は起こっているものの先進国同士の「全面戦争」は起きていません。これは、有史以来定期的に戦争を繰り返していた人類史上、非常に希有なことです。

なぜ戦争が起きていないのか。その理由はいくつかありますが、最大の理由としては、科学技術の大幅な進化が挙げられます。全人類が滅びるほどの破壊力を持つ爆弾がすでにいくつも存在し、複数の国が所持しています。その威力は、「万が一、かつてのような大戦が起きれば人類は絶滅する」ともいわれるほどです。そして、ITの発達により国境という概念に縛られることへの意義が薄れ、国際協調の時代を迎えるという歴史の本流が、戦争をしないという選択の後押しをしています。

しかし、AIがさらに発達しシンギュラリティの時代が来る前に、大国同士の覇権をめぐる戦争が起こるかもしれません。また、国内外問わず、再びナショナリズムの波が高まっているという懸念もあります。だからこそ、「すべての国がどの国も攻めず、どの国からも攻め込まれない」ための基盤づくりが求められています。それを率先主張できるのは、先の大戦で多大なる被害と加害を受けた記憶が残る日本の役割ではないでしょうか。

武力によらない積極的平和貢献活動は、まずはアジア圏特有の文化を加味した国際法を構築し、法秩序を確立することで「どの国も攻めず、攻め込まれない」、真の平和を実現しようという試みです。

ベリーベスト法律事務所が支援する積極的平和貢献活動の拠点

一般財団法人 アジア平和貢献センター

北東アジアにおける民間有識者同士のネットワークを活用して、アジアの平和と発展に貢献する目的で2005年、特定非営利活動法人として発足しました。西原春夫顧問が設立当初より代表理事に就任しておられます。2011年には、一般財団法人として再出発し、積極的平和貢献国家理念の構築と普及活動を行うとともに、主に日中日韓の相互理解促進活動、「歴史認識懇話会」をはじめとする、歴史認識をベースとした国際共同研究報告会の開催、東アジアにおける刑法研究者および実務家の交流促進活動を行ってきました。

一般財団法人アジア平和貢献センターの活動 一般財団法人アジア平和貢献センターの活動

【新規事業】東アジア国際法秩序構築事業

2015年に設立された「東アジア国際法秩序研究協議会」は、同地域における国際法学者の組織として、研究協議を進めることを目指し、アジア貢献センターの傘下組織です。実質的には日中国際法学者シンポジウムといえる、「東アジア国際法フォーラム」を2016年に発足。2017年以降現在に至るまですでに3回実施され、2020年3月には第4回が予定されています。

東アジアにおける平和の確立に向けた活動

発起人である西原顧問が発案する、「戦争の悲惨さを骨身にしみて感じている『戦争を知る最後の世代』の長老が、東アジア各国の長老に働きかけ、2022年2月22日22時22分22秒というまさに千年に一度の時点を期して、全東アジア構成国の首脳が『東アジアを戦争の無い地域とする』という共同宣言を出す」、という壮大な計画の実現に向けた活動に取り組んでいます。

西原春夫顧問に、活動についてお話を伺いました

西原春夫顧問
西原 春夫
Nishihara Haruo
刑法学者
早稲田大学第12代総長
ベリーベスト法律事務所 顧問

軍国少年だったからこそ「通説は疑え」が信念に

思えば、私が積極的平和貢献活動に力を尽くす運命は、私自身が誕生した年から始まっているように思います。私が生まれたのは、1928年、昭和3年です。まさに、3・15事件や治安維持法改正、済南事件、張作霖爆殺事件など、第2次世界大戦のきっかけとなる出来事が起きた年でした。

先の大戦で日本は、世界的な帝国主義の流れに後押しされるようにアジア各国へ侵略を行っています。子どもだった私は、教師や周囲の大人たちが言うことを丸ごと信じ、今でいう「愛国少年」に育ちました。戦争は正義のために行われ、日本以外のアジア諸国に住む人々はわれわれ日本人よりも劣る民族であると信じ込んでいたのです。

しかし日本は、ご存じの通り大規模な爆撃のみならず原爆による攻撃によって多大な被害を受け、終戦を迎えました。私はその日、たまたま6月に農村動員で1ヶ月過ごした埼玉の農家から草取りに招かれたので、同じ村に集団疎開していた弟たちの住んでいたお寺でいわゆる玉音放送を聞きました。戦争が終わったことを知ったその瞬間、耳元で鳴り続けていた轟音が「ばちっ」と止まった感じがしたことを鮮明に覚えています。感じたのは不安でも安心でもなく、ただ静寂でした。

東京へ帰った私は、「これまでずっと日本はとんでもないことをしてしまい、私は間違ったことを教え続けられていた」という事実を次々と知ることになりました。そのときの衝撃を、私はいまだ忘れられません。当時17歳だった私は、間違ったことを信じていた自分を恥ずかしく思い、同時に「間違ったことを教える大人たちは信用できない」と心から思ったのです。

この経験が、私の人生において大きなベースとなっています。「みんなが正しいと言うことには、必ず落とし穴がある」「自分だけを信用しろ」という信念です。この思いがあったからこそ、たとえば共謀共同正犯について、これに反対する圧倒的通説に抗い、むしろ通説にひそむ理論的欠陥を追及しました。その結果は、みなさまの知るところです。

楊井人文 弁護士

戦争を防ぐ法治主義国際法秩序の確立を目指す理由

戦争は、どのような理由があろうと絶対にしてはいけないというのが戦後の確信でした。私が半世紀以上研究し続けてきた刑法においても、犯罪は許されない行為として位置づけられています。戦争は犯罪の最たるものといえるでしょう。被害を受けた方々が抱く恨みは3代続くといわれ、日本は子孫にわたって償いをしなければならないのだと、17歳のころの私は考えました。私が今もなお「日本こそが、『武力によらない積極的平和貢献国家』たれ」と強く願うのは、そのときの誓いに基づくものです。

早稲田大学の総長になる直前、1982年6月には、当時のいわば副総長として、戦後日本初の中国国内大学との連携を実現させることができました。北京大学との学術交流協定です。調印式の席上、終戦当時の17歳少年の思いを語ったとき、中国側の先生方が感動し、緊張の空気が緩み、心から歓迎していただいたことを覚えています。

日中関係はいまだ不安定な部分があります。しかし、相互に交流し、尊敬しあい、共同研究に長年取り組み続けることは、無駄ではありませんでした。間違いなく、確かな信頼関係が築けているのではないかと感じています。

1988年、歴史上初めて開催された日中刑事法学術討論会は、なんと30年以上にもわたり現在も継続されています。2010年代に尖閣諸島問題が起こった際、さまざまな日中友好行事が中止になりました。しかし、私どもの日中刑事法学術交流はいささかの影響も受けず、完全に予定通り継続して開催されているのです。

2018年、日中刑事法学術交流の歴史は30年に達しました。中国の刑事法学者たちは、その年の3月、第一回の学術討論会の開催された上海で、これを記念する「日中刑事法シンポジウム」を開催して下さいました。折しも私が90歳を迎えていたので、夜の懇親会はそれを祝賀する宴席に変わり、さらにその席上、何と中国人学者25人の執筆になる660頁に及ぶ大著「西原春夫先生卒寿祝賀論文集」の献呈が行われたのです。これも歴史上稀有のことだったようです。国境を完全に超えたあの夜のすばらしい雰囲気を、私は一生忘れることができません。中国の中で私はどう見られているのか、ある中国の法律家がこのように答えました。「中国において西原先生は単に『日本の一教授』ではない。かつて一つだったがその後分かれ、再び一つになろうとしている『アジアの老師』なのだ」と。

確かに日中刑事法学術交流は、中国刑事法学の発展に寄与するとともに、発足当時はまるで意識されていなかった中国における法治主義の確立に貢献したことは疑いないと思います。だからこそ中国の学者たちは敬意と感謝を捧げて下さったのでしょう。

しかし、アジアにおける平和の確立という点からすると、法律家としてまだほかにやることがあるのではないか、という発想がこみ上げてきました。2010年代の初めごろのことです。それは、日中を中心にして東アジア各国の国際法学者を組織し、その研究協議を基礎として東アジアにおける国際法秩序を実効あらしめようという企画です。2014年、私はその着想を実行に移し、何と2017年から、日中国際法学者のシンポジウムの開催にこぎつけたのでした。来年3月には、第4回が行われることになっています。

楊井人文 弁護士

「東アジアを戦争の無い地域に」という共同宣言を目指して

終戦の日を境に決意した「戦争は絶対やつてはいけない」という考えをどうやって実現するか、私はたまたまそれのできる地位に立ったので、今から振り返ってみますと、第一段階としては日中の大学交流、第二段階は日中刑事法学術交流、第三段階は東アジアの国際法学者の研究協議という形でそれを進めてきました。しかしひるがえって見ると、平和の実現のためにはもう一歩が足りないという気がしてきたのです。あと何年生きられるかわからない、人生最後の大仕事がまだ残っているという思いを消し去ることが出来ませんでした。

そして思いついたのが、ある日時を期して全東アジア構成国の首脳が「東アジアを戦争の無い地域とする」という共同宣言を出す提案を、かつてアジアに戦争を仕掛けて敗れた経験を持つ日本の長老たち、つまり戦争の悲惨さを直接知っている世代が、それぞれの人生最後の想いをこめてまず東アジア各国の長老たちに、次いでそれらの国民に、そして最終的には各国政府に訴えてこの目的を実現する、思えばまことに突拍子もない企画でした。今年の5月のことです。

この企画をどう思うか、私は身近にいる有識者に片端から聞いて回りました。驚くことに、反対は一人もなく、大部分の人がぜひやるべきだ、やってほしい、久しぶりに胸がときめいた、応援する、という回答でした。「戦争」の方向に向かいがちな最近の歴史の流れに対し、違う、本当の歴史は「平和」の方向に歩んでいるはずだという大部分の庶民の想いを代弁するものではないのか、だからこそこんなに支持者が多いのだとつくづく思いました。

私はこれまでの人生の中で、「これはひょっとすると『天のお指図』で、『天のシナリオ』に背くことはできない」という想いで困難に立ち向かい、困難を克服した経験をたくさん後にしています。今回も、そうとしか考えられない経過をたどってこの企画は進行してきました。私は断固として進んでゆきます。どうかベリーベスト法律事務所の方々も、このインタビューを読んでくださった方々も、皆さま自身の課題としてこの企画をとらえ、法律家として、一国民としてこの運動を支持、応援して頂ければ幸いです。

西原春夫 顧問 プロフィール

西原春夫 顧問
  • 1928年(昭和3年)生まれ
  • 刑法学者
  • 早稲田大学第12代総長
  • ベリーベスト法律事務所 顧問

1951年、早稲田大学第一法学部を卒業後、1956年同大学大学院法学研究科博士課程修了。早稲田大学助手、講師、助教授を経て、1967年同大学教授となる。1972年には同大学法学部長、1982年から1990年、早稲田大学第12代総長に就任。総長在職中、日本私学大学団体連合会会長、文部省大学設置・学校法人審議会会長などを兼任。1995年から1998年、早稲田大学ヨーロッパセンター(ボン)館長を務めたのち、1998年早稲田大学の定年退職を迎えた。

さらに1998年から2005年には学校法人国士舘理事長をつとめあげ、2005年から一般財団法人アジア平和貢献センター理事長に就任。公益社団法人日本中国友好協会顧問、公益財団法人矯正協会会長を歴任、現在、社団法人日中協会理事、少林寺拳法東京都連盟会長なども務めている。

刑法関係以外の最近の著書に『明治維新の光と影―この歴史から見えてきた日本の役割[新版]』(2019年、万葉社)、『私の刑法研究』(2015年、成文堂)、『日本の進路アジアの将来―未来からのシナリオ』(2006年、講談社)ほか多数。

【名誉博士】

高麗大学校(韓国/1985年)、ラサール大学(フィリピン/1988年)、アーラム大学(アメリカ/1988年)、シドニー大学(オーストラリア/1989年)、モスクワ大学(旧ソビエト連邦/1990年)、アウグスブルク大学(ドイツ/1996年)

【名誉教授】

中国人民大学(北京/1994年)、華東政法学院(上海/1994年)、武漢大学(武漢/2000年)、極東国立工科大学(ウラジオストク/2002年)、吉林大学(長春/2002年)、黒龍江大学(ハルビン/2002年)、中国社会科学院(北京/2003年)、山東大学(済南/2006年)、西北政法大学(西安/2007年)、中国政法大学(北京/2007年)、新疆財経大学(ウルムチ/2008年)

【客座教授】

北京大学(北京/2004年)、東南大学(南京/2015年)

【栄誉】

第一級功労十字勲章受章(ドイツ連邦共和国/1991年)
白玉蘭栄誉奨受章(中国上海市/1995年)
瑞宝大綬章受賞(日本/2007年)

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